はじめに
昨年11月28日、実践女子大学香雪記念館において有山崧生誕百周年記念集会を開催した。参加者数は220名に及んだ。戦後のわが国の図書館界の発展に寄与した元日本図書館協会事務局長有山崧氏の功績を顕彰するとともに、同氏が描いた図書館思想の視点から、委託など運営形態に端を発したさまざまな問題に翻弄される現代の公共図書館のこれから進むべき道を探りたいとの思いが込められていた。
以下、紙面の都合で基調講演のみの報告とさせていただく。後日集会の記録集を刊行予定である。詳細はそちらをご覧いただきたい。
基調講演「有山崧から何を学び、何を生かすか」 前川恒雄氏(日野市立図書館初代館長)
1 有山崧の図書館思想
有山氏(当日前川氏は有山先生と呼称)の図書館界に対する主な功績として①図書館法成立に尽力。②図書館自由宣言の起草、決議の採択に貢献。③図書館発展の礎を構築。以上の3点を上げられ、当日は特に図書館の発展に尽力された点に絞り述べられた。
有山氏は当時の悲惨な状況を変えたいとの切実な思いから、事務局長として、現場で働く中堅の職員を動員し、『中小都市における公共図書館の運営』(1963年、通称「中小レポート」)を誕生させる牽引車役を担った。図書館の本質的機能は資料提供であり、中小図書館こそ公立図書館のすべてであり、すべての業務の基礎はサービスであるとの図書館政策の核心を館界に提示した。
この背景には、前年のイギリスやデンマークの視察で、生活の一部として利用される図書館に接し、読書運動に力をいれていたそれまでの考えを改め、新たな図書館思想への転換があった。その考えをまとめたのが『市立図書館』(1965年)だ。
こうした時期に日野市立図書館が誕生する。そこには有山氏が描いた図書館の実現と日本の図書館発展の命運がかかっていたと前川氏は当時を振り返る。誰でも使える図書館を目指すため移動図書館による貸出という方法がとられる。前後して有山氏が市長に就任。前川氏らは精神的支柱をえた思いで仕事に励む。その結果、図書館サービスが市民に理解され、日野の実践がやがて、図書館政策の重点目標として「貸出(資料提供)」「児童サービス」「全域サービス」の3点を掲げた『市民の図書館』(1970年)の刊行に至り、日本の公共図書館発展の契機となる。
1968年有山氏は道半ばで他界されたが、常に日野市ばかりでなく、日本全体、社会全体への使命感と深い見識をもち、さらに、共に仕事をしたいと思わせるリーダーとしての人格を兼ね備えていたと前川氏は述懐する。
2 どう生かすか
有山氏の信頼の厚かった石井敦氏が十年まえに指摘した状況と今もほとんど変わらない。京都市の委託の問題に始まり、公共経済論的自治体経営論やそれに迎合する学者の言動に現場は惑わされ、市民の図書館の実現を阻もうとする圧力が満ち溢れている状況だ。
電子図書館や電子図書の問題を例にあげれば、市民がいったい図書館に何を求めているかを考えて扱いを決定すべき。市民と図書館サービスとの関係は常に双方向の関係だ。そこで一番大事なことが図書選択だ。有山氏が言われた自立した市民が増えることが、図書館発展の基盤を築くのだから、そういう市民に役に立つ、喜んでくれる本を選ぶべきだと前川氏は説く。
東日本大震災の影響で長い期間自治体の財政を圧迫することが懸念され、とても楽観的な見通しがもてないとしつつも、事業仕訳で委託の結論が出たにもかかわらず、市長の決断で実施しなかった自治体が何か所かあったことや、図書館の自由宣言をもとにした読み物がベストセラーの一角に食い込んだことなどを例示し、わずかながら希望も感じるとも述べられた。
最後にこれからの図書館員は何をすべきかについて言及された。まずカウンターに立ち、市民が自分を待ってくれているという気持ちを起こさせる図書館になってほしい。自動貸出機はその意味で相反するものだ。ある市民が訴えるように、図書館員には広い視野のもとに豊かな知識と確かな洞察力が求められている。これこそ有山氏が追い求めた図書館員像そのものだ。市民のためにサービスをするという使命感と素朴さ、同時に図書館の仕事に就いているという誇りをもつこと。それがあれば有山氏がいった図書館になれるし、図書館を支える日本の社会が作られていくだろうと、現場への厳しくも暖かい助言の言葉を残して講演を締めくくられた。
有山氏の思想を最も理解し実践した前川氏を通して語られる先哲の思いは、現代の図書館員に対し、図書館の可能性を確信させ前進する勇気を与えてくれた。 文責 有山崧生誕百周年記念集会実行委員会 石嶋日出男(日野市立日野図書館)
『月刊社会教育』2012年2月号より転載