メッセージ1 日野市在住 T.T 図書館の皆様には、いつも大変お世話になっております。 さて、別添の文章は、私が昨年夏、会社のOB会報に載せたものです。毎年のことですが、誕生月になると「近況報告」を書くように言ってくるからです。 ここに出てくる図書館は、T図書館(私の家から歩いて15分ほど)です。H市は日野市、したがって本館(正しい言い方ではないかもしれませんが)は日野市立中央図書館のことです。そして都立図書館は都立多摩図書館が同中央図書館のことだろうと思います。 私は去る2001年11月26日の午後、立川市で開かれた『都立多摩図書館のこれからを考える集い/都立多摩図書館があぶない!住民と職員の集会・主催』に、参加しました。前日「朝日タウンズ」(無料配布のタウン情報紙)で見た連れ合いに“ぜひ行くように”と勧められたからです。そこで多くの人のお話から、私が大切にしている「私と図書館」の関係が“壊され”ようとしていることを知りました。本当に“あぶない!”のです。 私は、ふと、去年書いたこの文章のことを思い出しました。帰宅して読んでみると、私の「近況報告」であると同時に、私の「図書館賛歌」、「図書館で働く方々へのお礼のメッセージ」にもなっているのではないかと、感じました。そして普段、電話では「こちら高幡図書館です」「あ、いつもお世話になっています」、カウンターでは「お願いします」「ありがとうございました」としか言えていない方々や、直接お会いすることのない中央図書館や都立図書館の方々にこの気持ちをお伝えすることが“この時期”必要なのではないか、さらにはこの「集い」でいろいろ教えて下さった方々への「お礼のメッセージ」にもなるのではないかと、思うに至ったものです。 ご高覧頂ければ、幸いです。 2001年11月28日 T.T 端末のある風景-私と図書館 T.T 近頃図書館に行っても、書架を見ることはあまりなくなった。三年ほど前『レイテ戦記』を読もうと作家別五○音順の「オ」の棚の前に立った時、大岡信や玲はあるが大岡昇平の本が一冊もないことに気が付いた時からだ。 支館とはいえ、日本有数の市立図書館の八万冊を超えるこの図書館の書架から、大岡昇平の名が消えているのはショックだった。同じ棚の大江健三郎や大原富枝を利用していて、そのことに気付かなかった。念の為『現代日本文学全集』などに当たってみると、「野火」「俘虜記」「武蔵野夫人」などは読めるようになっている。しかし「大岡昇平は、文学全集だけに閉じ込めておくべき作家か」と、怒りにも似た気持ちで“10円コピー機”の脇の「端末」に向かい、キーボードを操作した記憶がある。すると『レイテ戦記』は簡単に入手出来た。地下の書庫に保存されていたのだ。以後、もっぱら端末のお世話になっている。 例えばその頃、BSブック・レビューを見ていて、ひのまどか『星の国のアリア』(講談社)というめずらしい本に興味を持った。おさらく無いだろうと思ったが、リクエストをする前、念の為キーをたたいてみると「本館」にあるではないか。さっそく翌日には入手できた。同様にして、ロジェ・グルニエ『フラゴナールの婚約者』(みすず書房)も読んだ。ただし、これは他に予約者があり、入手までに少し時間を要した。特に印象に残るのは中西進『源氏物語と白楽天』(岩波書店)だ。98年の正月、この本が朝日新聞社の大佛次郎賞をとり大きく紹介された。どうしても読みたいと思い本屋に電話すると、一万円近い大冊だという。迷ったすえ「端末」のお世話になると、これもある。しかも一足先の競争者(予約者)がいる、ということがたちどころに分った。以後、最近の佐野真一『東電OL殺人事件』(新潮社)まで、この機構のお世話になっている。 すごいと思うのは、背後にある667,124冊(99年度末)というH市立図書館の蔵書数の多さだけでなく、書評等で紹介される本はすでに必ず入っているという選択眼のよさだ。そしてほとんどの場合競争者がいるという情報も“目に見えない”刺激となったいる。 弱い点もある。「ノウ」とたたくと星印が続出し“1,000件以上あり、職員にご相談を”と出た。恐らく「脳」「農」「能」の区別が付かないのだろう。今度はカウンターの中にある「業務用端末」の出番、それを操作する司書の助力で伊藤正男『脳のメカニズム』(岩波書店)など、求める数冊にたやすく到着することが出来た。 これに力を得て、過日“倒産”した「ソゴウ」を入力してみる。ない。業務用にも“なし”の表示の由。H市の全蔵書66万冊には入っていないのだ。しかしここからが業務用端末の独壇場、司書は公共図書館ネットワークにアクセスしてくれる。都立図書館にあり、取り寄せられるとのこと。この話題の時期、貸出禁止あるいは競争者多数のはずと、半信半疑だった。ところが一週間経たず届いた。「ご希望の本が入りました」との電話に、希望していた別の本だろうと思って出かけていくと、なんと『株式会社そごう社史』(同社)、山森俊彦『そごう-怒濤の大航海、「水島そごう」日本一への出帆』(デパートニューズ社)の二冊、驚愕した。問題の千葉そごうの開設、話題の法学博士水島廣雄センセの活躍ぶりが、ファンファーレとともに手放しで活写されており、その“面白さ”は中西や佐野の比ではない。 もっとも、面白がっている場合ではないのだが…。(2000.8.4) メッセージ2 都立多摩図書館の機能と役割を大きく変えないで下さい 町田市在住 T.K(児童文学作家) 私は町田市に住んでいて、児童文学の仕事をしているものです。町田市立図書館をよく利用させてもらっております。 これまで町田市立図書館を通して、都立多摩図書館にずいぶんお世話になってきました。それが今回の再編計画で多摩図書館の一般図書、行政郷土資料がなくなると聞いて、大変驚き、心配しております。 都立多摩図書館の機能と役割が大きく変わって、これまでのようなサービスが受けられなくなるのは、本当に困ります。 現在、多摩図書館が私のような都民にどれ位役立っているか、市町村図書館の仕事をどれ位支えているか、都教育委員会の方々、都立図書館の方々は、よく認識して頂きたいと思います。そして、再編計画をただちにストップして下さるよう、お願い申し上げます。 メッセージ3 11/26集会へのメセージ 町田市在住 Y.T(作家・翻訳家) 十一月二日付の朝日新聞の記事に、都立図書館の利用者は減少傾向にあり、インターネットの普及がその一因だと書いてあった。となると、都立図書館の機能縮小や予算削減も時代の流れで、やむをえないじゃないか、と思う人もでてきそうだ。 だが、ここには、重要な視点がひとつ抜け落ちている。インターネットは、都立図書館を利用者にとってより身近な存在にしたという現実だ。都立図書館は、国際的に誇れるほどの蔵書をもつ。それを自宅にいながら検索でき、地元では入手不可能な資料も、地元の図書館にリクエストを出せば借りることができる。レファレンスのあり方も変わってきた。メールで都立のレファレンスをうける利用者の数は増えているという。海外からも質問がきていると聞く。 私自身、インターネットを利用するようになってから、茶の間に都立の分館ができたようなもので、なにかにつけてアクセスしている。つまり、都立図書館の利用は、直接足を運ぶ場合だけとは限らなくなったのだ。必然的結果として、地元の図書館を通じて都立多摩図書館から資料を借りることが以前より多くなった。メールでレファレンスをうけたこともあるが、簡潔で要点をおさえた答えがもどってきた。 図書館の原点は、あくまでも開架だと思う。書架をあるきまわり、直接本を手に取る、ときには思いがけない発見がある、これが図書館の醍醐味だ。だが、電子化は、ひとむかし前には考えられなかった新しい利用法を、これにつけくわえた。図書管理用のあり方がこんなふうに多様化してくると、市区町村立図書館をバックアップする都立図書館の機能はより拡充をせまられこそすれ、その縮小などとても考えられないはずだ。 多摩図書館の十四万冊の資料が廃棄され、今後都立の三つの図書館で同じ本は一冊しかおかないという政策が実施されるとすれば、どういうことになるのだろうか? インターネットのおかげで、都立図書館にどんな資料があるかが、利用者にとって、以前よりはるかに分かりやすくなった。だが、いざその資料を利用しようとすると、以前よりはるかに制限をうけることになるのだ。アクセスが容易になると同時に、利用のほうは逆に困難になる、そんなバカ気た話があるだどうか。東京都は、こうした一貫性を欠く措置をとりやめ、時代にそくして図書館の一層の充実をはかるだけの気概をもってほしい。 メッセージ4 集会のメセージ 町田市在住 T.S(フリーランス・ライター) 21世紀、地方行政は根本的に変わるのか-今回のいわゆる「図書館問題」を知ったとときの第一印象でした。もっとも驚いたのは、図書館の職員が市民サイドに立って、図書館行政のあり方に異議を申し立てたことです。 彼ら図書館職員は「都立図書館があぶない!-協力貸出があぶない 職員集会実行委員会」(以下、実行委員会)を結成して、実情を公にするとともに、都教育長はじめ、都立中央、日比谷、多摩の三都立図書館長に、「図書館機能の低下に結びつく改善計画の撤回」を申し入れています。行政サイドの人間が市民とともに、行政のあり方を質そうとする。かってこのような“運動”は展開されたでしょうか。暦の上だけでなく、現実に時代は変わったのだと実感しないでいらえませんでした。 図書館サービスの低下は、わたしにとって死活問題です。なぜなら、図書館はわたしの“仕事場”といって過言でないからです。宣伝めいて恐縮ですが、その証拠を一つお見せしましょう。わたしはことし(2001年)の春、『昭和天皇下の事件簿』(現代書館)を上梓しました。昭和期に発生した天皇関連事件をまとめたものです。天皇関連事件とは、天皇制の下でなければ起きなかったか、かりに起きたとしても、まったく別のものになっていたであろう事件のことです。集めた事件はざっと250件。事件と事件のつながりに目配りしながらまとめたら、680ページ余りの分厚い本になってしまいました。 この本を執筆するうえで、もっとも苦労したのは、“文献探し”でした。たとえば……日本の近代史に関心をお持ちの方なら、不経済(ならびに、不敬事件)という言葉じたいはご存じでしょう。では、不敬罪とはいかなる罪か、また、どんな法律で規定しているのか。一部の法律専門家を除いて、答にとまどうのではないでしょうか。わたしもとまどった一人でした。 文献などを読むうちに、不敬罪は刑法第74条、同第76条で定めているのがわかりました。ところが、不敬罪は戦後廃止されました。六法全書に載っていないのです。どうしてものか?-わたしはいつものように、近くの町田中央図書館へ駆け込みました。 同館を通して、都立図書館にずいぶんバックアップしてもらいました。「昭和」という時代は突然現れたのではなく、周知のように、明治・大正期の延長線上で出現したのです。 不敬罪も明治の“産物”です。当時の政治家や学者連中は、不敬罪をどのようにとらえていたのか。この難問に答えてくれたのは、同館の図書館員であり、都立図書館の保管されていた著作物でした。わたしは前掲書の「あとがき」に、 「文献探しに際して、居住地の町田中央図書館に大変お世話になった。同図書館のサポートがなければ、本書はとうていまとまらなかった」と記しました。 わたしにとって図書館とは、単に「館」ではなく、資料探しを全面的にバックアップしてくれる「場」でもあるのです。 いまの図書館にはさまざまな問題があります。思いつくままにいくつかあげても、書籍などを返却にいくと、図書館の職員はなぜ、「ありがとうございます」と礼を述べるのか。なぜベストセラーを何十冊も購入するのか。その前に、いったいいかなる基準で書籍(その他の資料を含む)を選んでいるのか。なぜ、「リサイクル資料」と称して書籍をただ同然で販売しているのか。わたしも買いに走る一人ですが、もともと市民の税金で購入したものだけに複雑な思いを拭えません。 いつも図書館を利用しながら、行政機関としての図書館について、ほとんど何も知らずにいたのに、あらためて気づきました。たぶん、わたしのような市民が多く、だからこそ、今回の問題がおきたのではないでしょうか。しかし、それにしても、「実行委員会」に危惧を抱かずにいられません。彼らは図書館を愛しているからこそ、異議を唱えたのでしょう。図書館にいて欲しいのは、彼らのような人たちなのです(これも図書館サービスの問題ですが、うまくサポートしてくれない職員が増えています)。彼らが他の部署へ配点させられたりしないかと、恐れずにいられないのです。こうしたさまざまな問題があるのですが、これを機会に、行政対市民という枠を越えて図書館のあり方を模索していくことができれば、「災い転じて福となる」ではないでしょうか。 メッセージ5 無 題 リファレンス利用者 平成13年10月19日の読売新聞で、都立多摩図書館の再編計画を知りました。 地元市の図書館では不足がちな半専門的資料(特に歴史や地誌)をリクエストすると、都立多摩図書館の蔵書であることが多く、いや、ほとんどと云ってよいくらいの割合を占めています。 これが、今回の再編計画で協力貸し出しが減少することになると不便この上ないことになりそうです。地元市の図書館の充実が図らなければ、もちろん結構ですが、現在の財政状況からは無理ですし、一般的な資料の充実の方が優先されるはずです。 多摩に住む都民にとって、多摩全体の資料を広く収集されているところがあることに、非常に重要な価値を見いだしています。再編計画で分館に位置づけられ、資料の収集保存が1冊に限定されることになると、私の場合、特に歴史や地誌ですが、他の例でも、貸し出しの競合が起こり、利用が制限されることが懸念されます。 東京構想2000年では、2015年には、団塊の世代が一度に65才以上になることを推計し、可処分時間の飛躍的増大から、その活用を東京の発展になるようにしようとの提案がなされています。その上からも、図書館の機能はこれまで以上に重視されるべきだと思います。 経済情勢の厳しさは十分理解できますが、高年齢者にとって図書館は日常生活になくてはならないものになっています。都立多摩図書館が従来の機能を失わないように、更に発展させ、生活の張りに役立つように力を入れ、存在を重視してください。 その意味からは、現在よりも多摩図書館を一段と充実し、独立性を持たせて、されに中央へのアクセスを機能化して、有機的な活動を展開すべきではないでしょうか。政策が逆向きであるように怒りが湧きます。是非とも再考を下せるようにお願いします。 メッセージ6 東京都立図書館の14万冊もの資料廃棄について 八王子市在住 H.K この東京都の都立図書館合理化政策を聞いてびっくり仰天しました。 しかも、東京都行政当局はこの重大な問題を図書館当事者である都内市町村立図書館及びその直接の利用者である都民には一言の相談もなしに、勝手に決めて事を進めていると聞き、民主主義を踏みにじった住民無視のやり方に憤りを抑えることができません。 都道府県立図書館の主な使命は、当該地域の図書館振興政策の作成とその実現、及び東京都であれば、都内市区町村立図書館への支援にあるのではないでしょうか。 しかし、現在ですら、私の住む八王子市では50万もの人口を抱えていながら、市立図書館はやっとわずか4館です。このためもあって、かっては八王子では40カ所に近い文庫ができました。私も子どもたちのために13年間、家庭文庫を開きました。しかし、やはり、図書館の代わりとしては限界があります。子どもの歩いていける距離に設備の整った図書館が必要です。 私の家から八王子中央図書館へは大人でも40分かかります。子どもの足だと1時間近くかかるのではないでしょうか。さらに、都立図書館に行くためには片道1時間20分かかります。図書館まで大人で10分、子どもで7分という目標からはおよそ縁遠い距離です。勿論、八王子中央図書館からリクエストは可能ですが、急いでコピーが必要なときは、直接行くことにはなります。しかし、ここの資料14万冊が処分され、なおかつ、都立3館で同じ本は都立中央図書館に1冊しか残さないということになれば、都立中央図書館まで片道2時間以上かけて出かけなければなりません。往復4時間以上、交通費をかけて1日仕事です。しかも、貸出中となれば閲覧することすらできないのです。こんな図書館を誰が利用するでしょうか。都民には図書館が必要ないと言うことなのでしょうか。 東京都立図書館の役割はむしろこれから、一層重要になると思います。 21世紀に入って、テロとその報復戦争、それに無批判に荷担する日本政府、早いスピードで進行する温暖化、元東北大学総長西沢潤一氏はこのまま温暖化が進行すれば、2080年には大気中の二酸化炭素が3%に達し、全人類は死滅するだろうと予言しています。戦争はそのテンポを一層勧めることになるでしょう。その上、人々の生活を直接脅かしている世界的な不況など人類は文字通りの危機に直面しています。この困難な時代を人々が安全に生き延びる方策を考えるためにはまず、何よりもまず正確な情報の入手が必要です。 その情報を提供する使命を持ったのが図書館ではないでしょうか。都立図書館の使命は重大です。これからしっかり都民のために働いてもらわねばならないと思います。 東京都の行政当局は都立図書館の役割と重大性をまったく認識していないとしか考えられません。この政策の即時全面撤回を求めるばかりでなく、逆に図書館の強化政策を直ちに実行することを求めます。 |
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