【記録】多摩の共同保存図書館づくり運動

注:『多摩のあゆみ』第120号 2005年11月号から転載。原文は縦書き。

堀 渡

1 「多摩地域の図書館をむすび育てる会」とは?

 私は国分寺市立図書館に勤務する図書館員である。ここに紹介するのは職場での取組みではない。前史を含めれば四年間ほどをかけて図書館員・職員OBや幅広い市民の方と取り組んできた「共同保存図書館づくり」という前例のない市民運動の背景と現状の紹介である。現在の図書館法では利用者に開かれた「図書館同種施設」を作ることは誰にでもできる。めざしているのはそうした直接に利用者の使う図書館ではない。今や30年以上の実績を持つ市町村立図書館が軒を並べるこの多摩地域で、各自治体の図書館での日々の資料提供を今後支えるであろう共同保存図書館の実現である。活発な図書館運営の背後で間近かに迫っている<図書館の限界>を乗り越える1つの対案として、私たちは検討してきた。
 私は「多摩地域の図書館をむすび育てる会」に属している。略称は「多摩むすび」という。この会は平成14年10月に発足し、入会金を払ってくれた約110人程の会員がいる。会長は合併されて西東京市になる以前の保谷市で図書館の館長を開館時から長くされた黒子恒夫さん。私は会の事務局長である。
 この会の会則第2条、目的には、
(1) 多摩地域の図書館が公共図書館を中心に連携協力し、市民が求める資料・情報を提供できるような仕組みを研究し、提案すること
(2) 多摩地域の公共図書館の資料の共同保管・共同利用のシステムの実現
(3) 市民と図書館職員とのよりよいパートナーシップの確立
とある。端的に実現を目指している(1)(2)だけではなく、(3)では運動のスタイルにも触れていると思う。私たちの会は、ただ<業務外の職員たちの集まり>ではないのだ。
 発足直後から会内部のプロジェクトチームで原案を作り、多摩の4ヶ所の公開検討会で修正をしながら成案を作った「東京にデポジット・ライブラリーを作ろう!―多摩発・共同保存図書館基本構想―」を平成15年9月に発表し、それを広める努力をしてきた。同年12月には「東京にデポジット・ライブラリーを」という題でポット出版から出版もした。それが最初にやったことである。いわば(1)にあたる。ではそれをどう実現するか―――?
 構想を広報したり実現のための組織づくりを研究しながら時間を過ごしてきた。同時に「多摩の大学図書館開放」や「多摩の学校図書館事情」などの講演会、学習会を行ってきた。それは図書館の種類を越えた多摩のネットワークづくりと「市民と職員とのパートナーシップ」のためだった。また、東京都立図書館の再編・縮小問題では折に触れて市民集会を開き問題提起をしてきた。普段はメーリングリストで情報交換をしている。
 
2 今取り組んでいること

 今年の8月から9月にかけては、町田市の小学校の廃校に平成14年以来保管されてきた都立多摩図書館の5万冊の廃棄図書が多摩の市町村立図書館の蔵書とどう重複しているかの検索作業に取り組んでいた。会員から30人ほどの協力者を募って。
 それには前史がある。現在も立川市にある都立多摩図書館は、多摩の市町村立図書館の支援拠点として市町村との緊密な連絡と信頼のもとに活発に活動していた。直接利用者と接する市町村立図書館の資料提供にとっては換えがたい支えであり、重要性はますます高まるところだった。東京都の突然の政策変更により、都立中央図書館の分館の位置づけになり、多摩の拠点としての蔵書内容や予算や運営の独自性は平成13年度末から急にくずれた。この都立図書館の再編・縮小問題にはいろいろな側面があり、全都的な反対運動が起こった。特に多摩地域では15の市町村議会で再考を求める意見書が採択されるなど、大変活発だった。私たちの会もこの反対運動を継承している。都が原案通りの実施を決めた時、都立中央と重複しているという理由で、一挙に蔵書のうち約11万冊が都内の図書館などに払い下げ(=「再活用」と称した)られた。それは重複図書払い下げの第1弾だと言われた。多摩の市町村の図書館長の集まりである市町村立図書館長協議会は、この都立多摩図書館の再編・縮小に大反対し阻止しようと活動した。東京都が「再活用」の応募館を募り始めたので、その散逸を恐れ、もともと多摩の市町村立図書館を支える蔵書だったのだから一括で活かせる方法を探ろうと、東京都に対し「個別に申し込まれた以外の全冊」の引き受けを希望、都からは5万冊が配分された。この5万冊が町田市の協力を得て同市の廃校校舎に緊急的に保管されていたのだ。
 その後、この課題をきっかけに館長協議会内部では多摩の市町村立図書館の共同資料保存センターの実現を図ろうという提言が生まれていた。東京都が担っていた図書館のバックアップ機能を自前で創出しようという大きな構想である。町田の保管図書に手をつけることはその第一歩だった。箱をあけ個々の図書をデータ化して、図書館や利用者が検索し流通できるルートに乗せていくには冊数を現実的なものに圧縮することも必要なので、市町村の蔵書との重複を調べる調査が始まったのだ。具体的には、今では大半の市町村立図書館でインターネットで公開されている図書館蔵書との横断検索による照合である。5万冊のうち4万冊の検索は業務上のノルマとして各自治体に配分されたが、市民団体「多摩むすび」は館長協議会の依頼を受け、1万冊分のボランティア作業を会員から応募をつのりやり終えたところだ。続いて11月には、町田の現地でこの調査結果に従った箱あけ・選り分け作業が予定されている。私たちの会はこの作業にも作業者を斡旋し協力していくつもりでいる。

3 公共図書館の書庫の限界と除籍の状況

 多くの図書館は、もちろん予算の限りではあるが、話題の新刊をどんどん買いそろえていきたい、普通の利用者の期待に広く応えたいと思っている。来館者が選びやすいように書棚は見やすく詰め込みすぎずなるべく低く、そして書棚の間隔も広いに越したことはない、とされている。利用頻度は少なくても各分野の顔である基本図書もちゃんと棚に並べておかなくてはいけない。<快適な図書館>、さらにいざ思いつけばかって読んだ本をスムーズに取り出せる<役に立つ図書館>。だがそれには、各図書館が在庫を出し入れできる裏方倉庫を持ったショップであることが必要だ。利用が落ち新鮮でなくなった図書は開架からははずすが、将来の利用に備えて取っておける閉架書庫が必要だ。今、小売店舗との類推で語ったが、図書館が図書館であるためには、「お店」の比ではない巨大なバックヤードが必要だろう。多摩地域の公共図書館の閉架と保存はどうなっているのだろう。
 市町村立図書館長協議会は平成14年度から「多摩地区図書館サービス研究会」という下部組織で「町田の5万冊」と蔵書の保存の問題を研究させている。その会が同年度に最初に行った書庫収容能力と除籍数の調査がある。数年経つが初めての地域横断的な調査であり、これほど詳しい数字はほかにない。
 表Ⅰ「図書の所蔵数等の状況」をまず見てほしい。30市町村の所蔵図書の総数は1517万冊余りである。最近は図書費がどこも減ってしまっているが、それでも年間受入冊数は約83万冊となっている。注目すべきは除籍数で、年間49万冊となっている。(受入冊数が落ちたがそれでも年間34万冊の増加があることでもある。)
 なぜこのような大量除籍になるのだろう。表Ⅱ「書庫の収容状況」を見ると事情が見えてくる。多摩地域の図書館は利用者が自由にさわれる開架書架はどの図書館ももちろん既に一杯である。では閉架書庫はどうなっているのか、というのがこの表である。
 30市町村で書庫の収容能力は全部で450万冊であるが、自治体により7千冊から52万冊と大きな開きがある。52万冊の武蔵野市、50万冊の調布市、47万冊の府中市、40万冊の小平市などの書庫を持つビジョンには見習いたい。(建設年度を見ると先行する建築と利用実績によく学んだ結果とも言えよう。)仮設書庫というのは、もともとは図書館に付設していない小中学校の空き教室の転用等でしのいでいるということである。それしか書庫を持たない市町村も多い。そんな仮設の使用を含め、収容は400万冊を超えている。前年度の増加分から推量して2年をもたずに一杯になるだろう。この時点で収容能力100パーセントを越すところが13ある。これらは毎年受入と同じ冊数を除籍せざるを得ないはずで、3年後の現在ではさらに多くの市町村が既にそういう事態だと思われる。
 市町村立図書館には地域毎の分館があり、複本も多い。よく利用されれば当然、汚損破損も紛失も発生する。受入れた図書をすべてずっと保存しなければならないわけではない。まずはその自治体で「程度のよいもの1冊」を閉架で取っておければノーマルだろう。しかしこの2つの表から見えることは、私たちが「閉架書庫」というものにイメージする、コントロールされたセーフティネットの期待からはかけ離れている。端的に言えば、新しく買った分だけ、開架で場所を確保するためには閉架に移し、閉架場所を確保するには何かを閉架から除籍せざるを得なくなっている実態である。
 多摩地域に公共図書館の花が開いて一世代が経過しようとしている。新刊予算を毎年つぎ込んでの快適性ばかりでなく、図書館らしい蔵書と仕組みの<厚み>を示していけるには<ここが思案のしどころ>ではないだろうか。

4 都立図書館機能の急激な低下

 東京都には三つの都立図書館がある。港区に昭和48年に作られ、都民の来館利用にも区市町村立図書館への協力貸出にも対応していた蔵書160万冊の都立中央図書館、立川市に昭和62年に作られ特に多摩地域の協力貸出に力を発揮していた70万冊の都立多摩図書館、戦前からの一等地にあり、迫られる改築とバージョンアップの方向性が課題だった都立日比谷図書館である。都立日比谷は蔵書の都民への直接の貸出しを行う一方、児童書とその研究資料コレクションや16ミリ映画などの貴重なフィルムライブラリーがあった。都立中央の開館した時代は、都の図書館振興政策による刺激で、特に多摩各地に新しい図書館が建っていく時代であり、続いて都立中央の豊富な資料費と蔵書による協力支援で区市町村立図書館が活発なサービスを展開し始める時代であった。そして都立多摩の開館は、規模の小さな市町村立図書館にやってきた強力な支えだった。細長い東京都の逆の極に都立中央があるハンデをカバーし、雑誌や新聞、辞典類まで協力貸出する<図書館のための図書館>としてその運営は全国からも注目された。そんな都立図書館だったのだが、平成13年度末に突然発表された「都立図書館あり方検討委員会報告」によって大きく変わってしまった。
 都立多摩は都立中央の分館になり、今後は図書は都立中央だけで1点1冊を収集し、同じ本は原則的に二冊は買わない。都立多摩の役割だった地域分担は廃止する。都立日比谷の児童青少年資料を多摩に移し、多摩は児童青少年資料、小説エッセイ類、および多摩地域の行政郷土資料だけを分担する図書館に変わる。都立多摩が市町村に協力貸出していた雑誌類は収集タイトルを大幅に減らし、都内全体に貸出しを広げる。
 そして都立内部では確認されていた、古い本でも1冊は永久に保存する保存方針も変えてしまった。現在の書庫容量に収まる分しか保存しない、書庫の拡張はしない。(市町村の図書館と同じだ!ただし増改築や廃校を仮設書庫にするなどの次善の策を追及しないところが都は徹底している。)それまでの15年の運営で収集された図書のうち、中央に同じ本がある場合は都立多摩の蔵書分は基本的に廃棄をする。その量はおよそ35万冊といわれた。11万冊の放出はその第1弾だったのだ。(その後、都は蔵書を除籍してデータは消すが、区市町村に<再活用>には大量には出してこないでいる。除籍された図書は多摩や日比谷に箱詰めのままで保留されていると聞く。ちなみに、都立図書館の「事業概要」平成17年版には除籍数のデータが出ていない。)
 資料費も激減した。ピークの平成九年度には5億1406万円だったが毎年減り続け、平成16年度には2億1165万円となった(どちらも決算額の数値)。継続こそ基本の図書館の資料費予算が、10年経たずに4割に落ちた。実に、世田谷区など既にいくつかの区の資料費の水準を割り込んでいるのだ。
 都の財政危機で文教予算への査定は特に厳しいのだろうが、この政策変更は全く都教育庁内部だけで議論された。これ以後、都立図書館の区市町村立図書館との付き合い方は、東京都公立図書館長協議会の廃止提案や実務担当者会の一方的な改組など、図書館政策・図書館サービスを一緒に行うパートナーとしての扱いから冷え込んでいる。
 自治体の図書館が利用者の請求に、自前の蔵書や購入で応えられない時の借用先の内訳も大幅に変わってしまった。都立図書館の新刊収書率が下がり所蔵していないことが多くなった。所蔵しても1冊なので来館者重視で貸さないことが多くなり、借りられても他の図書館の請求との競合の場合が出てきた。5年前は他館からの借用提供の9割以上は都立図書館からだったろう。いろいろな深刻な理由で借用による提供量はこの5年ほどで各図書館とも格段に増える中で、今では都への借用依存率は5、6割程度ではないだろうか?都の協力配送便を使って、自治体同士が借りあう現状に変わってきている。
 しかし高価本や学術書など各自治体ではそれほどの利用が見込めない本が確実に存在する。配送時間のかかり方の非効率もある。古い本がいつまで保存されるかの危惧がある。このままではいけない。
 今年8月末には「第2次あり方検討会報告」が発表された。相変わらず都の管理職だけの非公開の検討の結果である。日比谷図書館の地元区への移管や一部利用料金の徴収の導入などが盛り込まれている。9月中旬にあった館長説明会に代理で出席した。利用者でありパートナーである区市町村の図書館関係者と<都立図書館のあり方>をなぜ一緒に検討しないのか、活動の基礎である資料費減少に歯止めの目途はないのか、日比谷に保管されている除籍図書やフィルムライブラリーはどうなるのか、出された質問にはっきりした答えはなかった。散会後、見ず知らずの区立出席者が近づいて来て、口をゆがめてささやいた。「歴史ある図書館を一館潰すんだぜ、資料費2億、新刊点数の半分しか買えない都立はないぜ」。 

5 出版状況の激変

 「本が売れない」と言われて久しい、ではその内実はどのようなものだろうか。出版科学研究所の調査によると、書籍の総流通部数のピークは平成8年の15億6302万冊。推定総販売部数も同年の9億1531万冊だと言われ、それ以後は急落している。つまり、書店などに出回る数も販売される実数も明らかに縮小傾向にある。
 しかし表Ⅲに示したように、1年間に出版される本の種類は逆に急激に増え続けているのだ(毎年度の出版年鑑の数値から筆者が作表)。年間2万点を戦後はじめて越えるが昭和四五年、3万点を越えるのが昭和57年、4万点を越えるのが平成2年。そして5万点を越えるのが平成6年、このへんから曲線が大きくが変わるわけだが、昨年はついに7万7千点に達しているのだ。取次は平日しか稼動しないわけだから、週末を除いて実に250点以上の新刊が毎日出版されているわけだ。逆に平均単価はこの10年以上、むしろ落ち続けている。(本に接している現場の手ごたえとして納得できるところだ。)
 価格が安い、それでいて種類がやたら膨大で、それぞれが替えがたい個性を主張しているのが出版物の世界なのだ。例えば文房具屋に行き、A社のボールペンが切れていればB社製のを買うだろう。ボールペンがなければ(それはちょっと考えられないが)サインペンでも買うだろう。いや筆記具全体でくくっても数百種類が同時に出回っていることが考えられるだろうか。書店にしろ図書館にしろ、具体的なあてがあって本を求めてきた人に、桜井よしこの政治評論ならありませんが立花隆のならありますから、とか桜井よしこなら別の本がありますから、と言って手渡すことがありえるだろうか。
 出版の川下業界である書店や図書館は今、単価は安いがともかく種類の膨大な取り扱いアイテムと格闘している。(敏感に動く出版物の中心は文庫と新書である。)それを個別に間違いなく流通させ、利用者の嗜好に届けてはじめて信頼が得られるのだ。
 じっくり吟味した選書を行い、定評の定まった各分野の書籍を確保しておく、などというのはどちらかと言えば閉架書庫には入れないようにとか、間違っても除籍しないようにとかいう歯止めの作業である。反響がありそうなもの、ロングセラーになりそうなものははずさないようにしながら、センスのいい新刊書を予算の限り、いかに<多種類>提供できるかが日常の課題となっている。「言論の自由」や「表現の自由」から見れば、出版することのハードルが低くなっていることは悪いことではない。
 一方で、安い単価で多くの種類が新しさと個を競う体質が前面に出ることは、状況に左右されない原理的な内容の書物を長く在庫をもってじっくり売り続ける発想が少数派になっている、困難になっているということだ。世界・日本の文学全集などというものはもう20年も出ていないし、自然科学系の専門事典など30年も出ていない分野も多い。紙媒体の大百科事典は今では一社のみ、それも大改訂はされていない。これが今の出版状況である。今、普通の図書館を新しく立ち上げようとすれば、各分野の棚の基本書、専門書の類は古書店に絶対的に頼らざるを得ない。またそれが図書館には求められている。たとえどんな大規模書店に行っても今では読者が手に入れられない本なのだから。
 産業としての出版は、老舗の倒産などが時折話題にはなるが、おおむね体質を変えつつ維持されている。しかし図書館にとっては、こういう局面にどう対応するか、なかなか難しい時代ではないだろうか。膨大な冊数の新刊がそれぞれ個を競い、読者がそれを支持している時代。一方で補充のきかない基本図書の維持・確保に日々心を砕かなくてはならない時代。そして急速に累積し続ける過去の出版物への要求に応えなくてはならない時代。どんなに資料費があってもどんなに書庫が整備されていても、自館だけで利用者に応えるのはもはや困難な状況である。

6 検索環境の向上と<図書館の、新たな発見>

 技術の進歩の意味は、それが広まってしばらくしてから、ようやく見えてくることかもしれない。人々の動き方を変え、ある分野の基本条件を変えてしまうような進歩も中にはある。全体としてのコンピュータ化の波はもちろん図書館にとって大きな変革なのだが、利用のためのアクセスという面では、図書館によってずれながらここ5年ほどの間に進行してきたインターネットによる所蔵情報の公開の波紋を、今後もたらす変化・影響も含めて外すことはできない。(ようやく私は、そう考えられるようになってきた。)
 インターネットによる目録公開が始まってから職員が集まるとあちこちで話題だったのは、閉架の本が何だかよく動くようになったな、ということだった。いつかある利用に備えていた静かな閉架書庫の時間が開架フロアと地続きになった印象で、閉架入れして積んだまま分類順にきちんと並べておかないと、バタバタと慌てることにもなった。印象的な書名だが発行年が古く今ではマニア向けだろうとか、ページが外れかけて書架には出せなくなった本も請求され、カウンターの来館者や他館に出ていくようになった。また請求される本が参考文献として紹介されるような定評ある文芸評論や人文科学書ばかりでなく、日常の細かな趣味・実用書であったり、型番の古い電算機器のマニュアル本などでもあるようになった。つまり請求者の人数だけでなくそのタイプが、文献を探す学生・研究者や書誌的にも詳しい読書家から、明らかにずるっと広がってきているように思える。館内の利用者検索装置の前は子どもも含めいつも何人かが並んでいる。アドバイスを求められ画面の前に行くと、いい加減な書名やおおざっぱな検索指示が入力されていることも多いが、トライする人の数は目録カード時代の比ではない。あれこれ画面をブラウジングしながら多くの方が予定外の本も見つけているのだろう。装置の検索メニューの向上が図られいろいろな絞り込み方ができるようになれば、さらにさまざまな本が動くのは確実だ。
 図書館の側も実はこのネットによる検索環境の向上で、利用者に提供できる基盤が圧倒的に変化している。かっては都立図書館の冊子目録が区市町村立図書館には配布されていたが、区市町村立図書館からの都立への所蔵問い合わせの主力は実に電話だったのだ。それがCD-ROM版の配布に変わったのが平成4年、新電算システム移行で目録カードが廃止されたのが平成11年12月、ホームページが開設されネットで都立図書館の蔵書を検索できるようになったのは、まだ平成12年2月からであるに過ぎない。ほぼ同じ頃から区市町村立図書館でもぼつぼつ蔵書のネット公開が始まり出している。(今では約9割の区市町村がネット公開している。)それまでは都立にない本は持っていそうな館に見当をつけ電話で聞いたり、FAXで調べてもらっていたのだ。都立に限らない他館の蔵書が容易に調べられ提供できるようになったのはほんの数年前なのである。今では都立のホームページ上に都内公共図書館の蔵書の横断検索メニューがあり、さらに所蔵雑誌の一覧目録もできて誰にでも見られる。つまり検索自体では都立も区市町村も条件は同じということになったのだ。都内の館ならば今のところは都立の週1回の協力便巡回によって配送は無料である。横断検索自体は都内ばかりでなく誰でもいつでも全国を検索できる。他県からだと往復の郵送料が図書館の持ち出しになるが、資料の貸し借りは公共図書館同士ならばいつでも行う慣習はかって検索手段が<離陸>する前と同じ。資料検索は環境の向上によって、距離による遠近を超えている。
 公共図書館になければ大学などの学術機関の横断検索も容易であり、古い専門書や雑誌の書名が正しいか、どの程度に希少資料かも見当をつけられる。今の段階では館種が違えば利用者に所蔵施設を伝えて閲覧に行っていただくのが普通だが、そのための検索は圧倒的に容易になった。大学などの学外者に対する閲覧制限もここ数年でずっと改善された。くり返しになるが、これらは業務用の特別の検索手段ではない。  
 かって公共図書館の離陸の時期に「図書館の発見―市民の新しい権利」(昭和48年、石井敦・前川恒雄著、日本放送出版協会)という名著があった。図書館の大衆化、情報基盤の共有化という意味では、今の事態は利用者にとっても職員にとっても<図書館の、新しい発見>とでも言えるように思う。

7 公共図書館は<金太郎飴>ではなかった!

 横断検索を通じて見えてきたことは公共図書館の蔵書は予想を越えて実に多様で<使える>ものだったことだ。これは今、図書館員に共通する驚きであり手ごたえではないかと思う。
 公共図書館に対する批判・揶揄の一つに、買う本がベストセラーに偏りどこも同じで、あたかも<金太郎飴>ではないか、というのがあった。もっと蔵書に特徴を持て、そうでないと使えない、云々。私は、個々の図書館を<貸出量>だけで評価することには以前から慎重なつもりである。書店から納品される見計らい本に頼らず、アンテナを張って本を選ぼう、多様な品揃えを市民に提供しようと心がけ、職場でも振舞ってきた。しかし普通の生活者、地域利用者の希望を無視できない。というか、それが図書館の基盤であると思う。日々の利用者の求めに応じ、図書館としての基本図書も揃え、地元発のローカルな出版物、地域にとって意味ある出版物、状況の中で読まれてほしい出版物を独善的にならず選び、残せればいいと考えてきた。公共図書館なのだから、それぞれの図書館が条件の中でいろいろ考え利用者に応え真面目に蔵書を積み上げていっても、収集にも保存維持の幅にもおのずと限界があるだろう、しかしそれは決してまずいことではない、と。
 ところが横断検索によって見えてきた実態は違う。予算があれば買いたかったな、と納得するような<公共図書館でも買いたいが少し専門的か高価な本>あるいはその幅の古い本ばかりではない。より大衆的・通俗的な本も、高度に専門的な本や相当な技術書も、そしてかなり古い本も、大変多様な本がヒットしてくる。都立を検索し近隣の図書館に問い合わせ出版社在庫も確認し国会図書館も調べたので、利用者に「提供できません」と回答する前に念のために駄目押しする手段では、明らかに横断検索はなかった。しかも雑誌と図書の隙間のような短期的出版物、ISBNコードの付いていない出版物、取次を通らず少数の地元書店でしか売らなかっただろう出版物、それでさえない完全な自費出版物さえも(もちろん駄目なこともあるが)どこかしらで引っかかる。私の体験でいえば、全国の横断検索をしてヒットしない場合は、入れた書名が不完全なのかと再確認が必要になってくる。(全く、今まで何をしていたんだろう?)
 この感覚は、どこかに専門書・学術書に偏った図書館があってまれな利用の本の助けになるとか、どこかに通俗的な本ばかりの図書館がある、というのとは違うと思う。ハーレクインロマンスとかコミックとかアニメ絵本とか、確かに選書基準のストライクゾーンは館によって違っている。しかし日々の横断検索を通じて思えることは、真面目に選書していても眼に入らなかった本がある、自館の文脈では入らなかったが面白い本がある、日本は広く図書館は多様で豊かだ、というような謙虚な驚きである。それぞれの館からアクセスしながら、どこの図書館員も今そういう手ごたえを感じているのではないだろうか。
 もちろんその期待は、学会や特定業界内だけで流通した報告書や紀要の類はとりあえず除外した話である。戦前の出版物もその頃からあった公共図書館は限られるし、地方の中心都市だったら戦災にも見舞われたろう。それでも私の小さな図書館で明治44年刊の新選撰組資料を京都府立図書館から借りられたり、ネット検索できる限りの全国の公共図書館にも国会図書館にもどこにもなかった講演録(市販されていたもの)が中京のさる商工会図書室にだけあって借りられたり、感動的な体験も多い(職員もいない施設で、相手をされた方も電話口でびっくりされていた)。

8 横断検索は保存の課題も迫る

 それどころか、横断検索で自分で調べて請求してくる利用者がぼつぼつ出てきている。(ずっと以前から都立図書館にはそういう面があった。都立中央や都立多摩で閲覧をして必要な資料が見つかり、都立から借りてくれというケースである。都立は区市町村を通じて貸すスタンスだから不思議はなかった。)それが今では、これはどこどこの自治体にはあるようだから借りてくれと請求する人がいる。普段から図書館をよく使う方ばかりではなく、公共図書館で入手できることを発見されて来館する、まだ利用登録もされていない方もいる。配送事情をよく説明しておかないと数日後にはまだか、と叱られたりする。所蔵情報の即時性と現物の配送速度の落差という新しい課題が出てきている。
 いわば公共図書館全体の蔵書を鳥瞰して使いこなすような、こうした利用者たちはこれから増えてくるはずだと思う。それを頼もしい、とばかり言っておれない。各館の1冊1冊のタイトルがどこかの図書館や利用者からの横断検索に引っかかる可能性を常にはらんでいるかのような事態が現在である。考え方を進めれば、希少な蔵書は極端に言えば日本中のすべての図書館の、すべての図書館を通じた全国の利用者の、共有財産という仮説も立てられる事態である。それは大規模図書館ばかりでもないのが横断検索の(あえて言えばネット社会の)平等性である。他館にない希少なタイトルはぜひ除籍しないよう歯止めをかける、という古典的な課題が待ったなしで浮上していると思う。(このことは職員はみな、うすうす感じているだろう。)図書館関係者が手をこまねいていては、多様で豊かな図書館蔵書の地下鉱脈を発見した横断検索のヘビーユーザーに見識を疑われるだろう。あの館にあったのになくなったあの市だけにあったのにもう読めない、そう言われぬよう、具体的な対策が早急に必要である。せめてまず多摩地域で共同のセーフティネットをかける必要がある。
 10年程前のまだ互いの貸し借りがこれほど日常化していない頃、市町村の図書館では自館で1冊しかない本を除籍する時はCD-ROMで都立多摩の蔵書を調べ、都立多摩が持っていなければシールを貼って残すことが行われていた。また他の自治体から請求があって貸した本も同様に残しておこう、としていた。あれは責任分担というほどはっきりした歯止めではなかった。その後、大半の市町村の書庫容量はその限界を越え、シール本を維持するためには自館で普通にとっておきたい図書を残せなくなった。(筆者の市の閉架書庫には何年も前から市内1冊本しか入っていない。市内1冊本のうち何から先に廃棄するかが除籍担当者の仕事なのである。)さらに判断の核にしていた都立が一方的に除籍を始めてしまっている。歯止めの秩序は破産しているといっていい。長続きして穴のない、新しい共通の歯止めの方法を再構築せねばならない。

9 館長協議会による共同保存の提唱

 さて、町田市に保管されている都立多摩の除籍図書5万冊であるが、市町村立図書館との重複の検索が終了した後の11月には、市町村立図書館で未所蔵の図書と既に所蔵している図書との選別が予定されている。市町村立図書館長協議会の計画は次のようなものだ。市町村では全く未所蔵だった図書、1冊しか所蔵されていなかった図書は生かす。保存シールを貼った上で市町村全体で分担保存をする。市町村と重複していた図書は、引き取り希望館があれば渡した上で残りは廃棄してしまう。ただし逆に市町村で既に持っている蔵書の方に、分担を決めて2冊まで保存シールを貼っていく。館長協議会としてなるべく均等になるように各市町村に保存分担を指定する。事前の予想では、七割程度が重複する予想とのこと。予想どおりとすれば都立除籍図書のうち1万5千冊が保存シールを貼って市町村に配分され、一方で市町村立図書館の既所蔵書のうち3万5千タイトル(=最大7万冊)が分担されて保存シールを貼ることになる。
 先ほど述べた、各館が除籍する時は都立多摩で未所蔵かチェックするとか他の自治体に提供したことがあれば除籍しないというのは、各館が個別に除籍をする時の責任のない留意点であった。館長協議会の今回の提案は自分たち市町村の蔵書の重複をいっせいに調べるという、保存問題にとって注目すべき共同作業だった。またその後に描かれている構想は、お互いに責任を持って分担保存することを前提にしている。しかも分担する図書の選択は全体を管理する者からの指示によるのだ。これはいわば、ルールを決めた仮想の(バーチャルな)共同保存書庫の試行とでも言えることだと思う。都立の縮小再編問題に苦慮する中から館長協議会が自衛的に共同保存を打ち出したことは大変に画期的だと考える。なぜなら、市町村蔵書の全体に共同で網をかけて具体的に全体のタイトル維持に努めようとする第一歩だから。
 この小論の3章、4章、5章で述べてきたように、現在は図書館蔵書の保存と利用者への提供をめぐる危機の始まり、転換点だと思う。さらに6章、7章で展開したように提供の可能性と新しい要求が見えてきたチャンスだとも思う。所蔵情報へのアクセスを背景に図書館の有用性・意味が変わってきているとも思う。8章で書いたように危機と課題は職員にも利用者にも露出してきていると思う。手をこまねいていては、図書館は一瞬の輝きを見せて急速に除籍が進行し、可能性が失われるかもしれない。図書館というものの可能性が<有限の>狭いものにしぼむかもしれない。今は保存と提供をめぐる図書館総体の分岐点なのだ。
 だが共同保存の今後の展開が市町村の既成書庫に配分する分担保存で止まってしまったら、今後にどこまで有効だろう。分担保存で続けていけるには、各自治体に書庫拡張の見通しがなくてはならない。そうでなければ自館蔵書の維持もままならない現状で共同保存の試行自体が問われるのではないか。共同保存を図るなら、やはり大規模な共同保存書庫を新たに確保するところまでいかねばならないのではないか。丁寧にやろうが各館の都合と容量で、それぞれの図書館が除籍をして蔵書を無に帰していくのではなく、すべての館から除籍を希望する蔵書を持ち込み、重複を絞りながらストックを増やして請求時の利用に備えていく、リアルな共同保存書庫の方が安心である。実際に先の見通しが持てるという意味で<現実的>ではないだろうか。社会の有効なシステムが立ち上がるかどうかの瀬戸際なのだ。
 
10 共同保存図書館をつくろう

 私たちの構想は、都立図書館や多摩の市町村の図書館がやむを得ず持ちきれなくなった蔵書を持ち寄って保存し、利用者の請求によって再び地域の図書館を通じて貸し出していける共同保存図書館(デポジットライブラリー)をつくろう、というものだ。
 できれば多摩のどこに行くにも交通の便のいい場所に、書庫に転用できる大きな建物を確保する。蔵書の考え方は、まだ痛んでいない図書館蔵書を除籍する時には連絡をとって運び込み、重複しないようにしながら保存タイトルを増やしていく。書庫の一角を作業室・事務室にして受入図書の点検、目録データの加工や図書の出し入れなどにあたる。所蔵データをインターネットで公開し、図書館や利用者に見てもらう。利用は公共図書館を通じて行う。図書館との物流は少ない時は宅配便かもしれないが、貸出返却のための定期便の巡回を検討する。別に除籍図書の大量回収のための臨時便を準備する。
 東京都立図書館と市町村立図書館が協力してこの事業の創出にあたる。特に東京都は用地や建物の提供、都立図書館の除籍図書の提供につとめる。維持のための経費は東京都と市町村が負担する。市町村立図書館は一致協力して、蔵書の提供と負担金の拠出につとめる。運営はNPO法人とそこに結集する市民のボランティア力に頼る。NPO法人は様々なアイデアでこの事業の魅力を高め、軌道に乗せる。(たとえば市民からの寄贈を受けつけて蔵書の豊富化を図り、同時に大規模な古書市とかネット古書店を展開していく。子どもの読書推進や情報アクセスのためのアドバイス講座、講演会を開く。講師派遣や助言活動を行う、など。) 
 多摩には、以前から各地に「図書館友の会」「図書館活動をすすめる会」のような図書館を支援しようとする市民の会がある。図書館協議会という図書館諮問機関の活動も活発である。公共図書館ばかりでなく市民が媒介になって学校図書室や子どもの読書を盛りたてている状況がある。都立図書館の再編・縮小問題には大変多くの人が関わり、市町村議会や教育長会も動いた。長年の利用を通じて図書館活動に対する理解はあり、こういう横断的な新事業の素地はある。そして図書館で長く仕事をした職員達が元気なOBとなって社会に戻りつつある。本を愛する人たちを結集し、図書館の危機を克服し可能性を広げて行く活動を展望したい。
 私たちは近くNPO法人「多摩デポ」を発足させる予定である。(以上)

【記録】多摩の共同保存図書館づくり運動

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